わたしと病気 その7

服薬を毎日欠かさず続けたおかげで

 

精神的にはだんだんと

 

落ち着きを取り戻してきた。

 

 

ただ、何もやる気が起きない。

 

虚しさで胸がいっぱいの毎日。

 

家に籠りがちになる。

 

なにかこう、のめりこめることや

 

楽しいことがないかと

 

携帯ゲームをやってみたり

 

母に連れられてあちこち出かけたり

 

してみるものの

 

これというものは見つからず。

 

無気力で重苦しい日々が1〜2年程続く。

 

 

ある日、ふと思い立って

 

永田町にある国会図書館

 

久しぶりに行ってみた。

 

以前一時期通っていて

 

結構楽しかったことを思い出したのだ。

 

そこで再び、沢山の本と出会う。

 

漫画、小説、エッセイ、思想本…etc.

 

とにかくいろいろと読み漁った。

 

図書館まで片道45分の道のりを歩くのも

 

いい運動になって、気持ちよかった。

 

 

また、薬の副作用で体重が15kgも増えてしまい

 

なんとかしなきゃと思って

 

区立のスポーツセンターにも通い始める。

 

そこでエアロビクスに少しずつハマり始める。

 

もともと、ダンスは好きなのだ。

 

そしていつも顔をあわせる常連さん達とも

 

だんだん会話することが増えていき

 

仲のいいお友達もできる。

 

 

そうやって

 

少しずつ行動範囲を広げていっていた。

 

 

そんなある日、母から

 

「区立のデイケアっていうのが

 

あるそうなんだけど、興味はある?」

 

と訊かれる。

 

区内在住の精神障害者が週に一度

 

区の保健所に集って

 

いろんなレクリエーションをしたり

 

都内近郊へ外出したりするらしい。

 

どこでそんな情報を知ったのかと聞くと

 

どうやら、両親が区役所の障害者相談窓口へ

 

わたしのことを相談に行ってくれたらしい。

 

わたしは、通ってみたいと答えた。

 

両親がそこまでしてくれたのが嬉しかったし

 

なにより仲間が欲しかったんだと思う。

 

 

ひと月ほどしてから

 

晴れてデイケアへ通い始めることになった。

 

 

病気のこと、悩み、辛いこと、苦しいこと

 

好きなこと、嫌なこと、なんでも。

 

話したいことを安心して話せる場所。

 

一応毎週プログラムは組んであるけれども

 

だるかったり、気がすすまなければ

 

部屋の隅でただゴロゴロしているのもアリ。

 

週に一回、決まった時間に

 

決まった場所へ通うという

 

習慣をつける練習にもなった。

 

 

そんなユルくて楽しいデイケアに通い始めて

 

半年ほど経った頃

 

わたしにとって運命の出会いが訪れる。

 

 

つづく。

わたしと病気 その6

船は桟橋に到着。

 

降りてすぐ、ベテランさんが

 

「あいちゃん、帽子をかぶって」と言う。

 

言われた通り、帽子をかぶる。

 

 

そして

 

出口を出てすぐわたしの目に飛び込んできた

 

本土の警察官さんの姿と

 

 

母の姿。

 

 

予感はしていたことだけれど

 

ショックを受けて、身体がガタガタ震える。

 

母に抱きかかえられるようにして

 

近くのベンチに座る。

 

 

「大丈夫だからね。もう大丈夫。」

 

ガタガタ震えるわたしを落ち着かせようと

 

優しくわたしの肩を抱き、寄り添う母。

 

今思うと、どんな気持ちだったかと思う。

 

なのにその時のわたしの頭の中は

 

「ああ…。やっぱり、ダメだった。

 

この人たちからは逃げきれなかった。」

 

そんな思いでいっぱいだった。

 

 

実は、過去にも失踪歴のあるわたし。

 

だから今回は、わたしが失踪してすぐに

 

両親は警察に捜索願いを出したそうだ。

 

…坊主頭のわたしの写真を見た時

 

一体どれだけショックを受けただろうか。

 

 

しばらくして落ち着いてから

 

車で迎えに来てくれていた父の運転で

 

実家へと帰る。

 

放心状態で助手席に座るわたし。

 

ぼーっと外を眺めながらふと

 

「帽子をかぶって」の意味がわかった。

 

両親が、リアルに坊主頭の娘と対面するのを

 

避けるための気遣いだったのだ。

 

 

やがて実家に到着。

 

冷房の効いた寝室のベッドで横になる。

 

それから数日の記憶は曖昧。

 

ぼんやりおぼえているのは

 

数日間、飲まず食わずで眠り続けたこと。

 

トイレにも一切行かず

 

とにかく眠くて、眠くて、眠り続けた。

 

 

それを見かねた両親はある夜

 

わたしを救急病院に連れて行くか

 

それとも以前から時々お世話になっていた

 

心療内科へ連れて行くか迷い

 

心療内科を選択。

 

とても歩ける状態ではなかったわたしを

 

弟がおぶってくれて階段を降り(うちは2F)

 

車まで運んでくれた。

 

 

その個人経営の心療内科は混んでいたけれど

 

急患のわたしを受け入れてくれた。

 

ところが長いこと横になりっぱなしだったため

 

待合の椅子に座っていることさえもままならず

 

頭がクラクラして床に崩れ落ちるわたし。

 

またしても母が介抱してくれる。

 

診察室には父が代わりに入り

 

状況を説明してくれた。

 

先生はテキパキと対応してくれて

 

水なしでも飲めるタイプの薬を

 

処方してくれた。

 

後に知ったことだが

 

それは、統合失調症の処方薬だった。

 

 

翌日には救急病院に行き

 

点滴を受けながら、トイレを促される。

 

何日かぶりの排尿。

 

点滴のおかげもあり、少し回復する。

 

 

それからは、少しずつ。

 

飲むようになり、食べるようになり。

 

徐々に起きていられる時間が増えていった。

 

どう毎日をやり過ごしていたのかは

 

正直よく思い出せない。

 

約二週間毎に心療内科へ母と共に通う。

 

数回目の診察で

 

正式に「統合失調症」と病名が告げられる。

 

「小笠原へ行った時のこと

 

憶えていますか?」

 

医師から何度か訊かれるが、その度に

 

「よく憶えていません」

 

そう、答えた。

 

現地でついたウソのことを

 

話したくなかったのだ。

 

 

先の見通しも何も立たないまま

 

時間ばかりが過ぎていった。

 

 

つづく。

わたしと病気 その5

警察署での事情聴取がはじまる。

 

顔写真を撮られ

 

全ての指の指紋もとられる。

 

 

そして、聴取では相変わらず

 

あいちゃん設定で嘘をつき通すわたし。

 

宗教施設で育った。

 

世間のことはほとんどわからない。

 

どこからきたのかもよくわからない。

 

そして、戻りたくない。

 

そう、繰り返すわたしに

 

半ば呆れ顔の刑事さん。

 

 

荷物の中身を詳しく調べられ

 

どうしても捨てられなかった

 

大切な本とiPodについて

 

これはどうしたの?と訊かれる。

 

東京で、知らないお姉さんに

 

親切にしてもらって

 

そのひとから貰ったと答える。

 

船の乗り方まで、その人に教わったと。

 

「こんな高価なものを?そんな人いるか〜?」

 

不審がられる(当然)。

 

「宗教って、お祈りとかあるの?」

 

そう訊かれたわたしは

 

咄嗟にお祈りを実演してみせる。

 

「あ〜もう、いいよいいよ」

 

苦笑いする刑事さん。

 

 

二日間、そんな調子で押し問答(?)し

 

とりあえず、本土に戻して

 

身元不明のまま

 

都内の福祉施設に送ろうという結論に。

 

 

病院のスタッフさんにも

 

村の担当職員さんにも

 

刑事さんにも

 

周り中から怪しまれていたに違いない。

 

今ならわかる。

 

なのに、心の中でひとり喜ぶわたし。

 

『これで、◯◯は終わり。

 

あいちゃんとして新しい人生を

 

生き直せるんだ。』

 

もはや、なにが目的なのかわからない。

 

死にたいのか、生きたいのか。

 

なぜ◯◯じゃダメなのか。

 

自称あいちゃんに今、問い質したい。

 

 

そして、小笠原から本土(「内地」って村の人は言っていたな)への船に乗る。

 

付き添いの刑事さん2人と共に。

 

とても、親切な方たちだった。

 

中堅さんとベテランさんのコンビで

 

明るく気さくに接してくれる。

 

 

「あいちゃんは将来どういう仕事がしたい?」

 

ベテランさんとそんな話になり、ふと

 

「施設にいた頃、雑巾を縫うのが好きだった」

 

と答えた。

 

すると刑事さん

 

「ウチの妻はね、刺繍ってわかる?

 

あれが得意でね

 

すごくステキな作品を作るんだよ。

 

いつも感心しててね。

 

あいちゃんも、刺繍やってみたらいいよ」

 

そう言って、励ましてくれる。

 

こんなウソつきのわたしに

 

そんな温かい言葉をかけてくれる。

 

 

今思い返せば返すほど

 

なんて罪深いのだろうと思う。

 

こんな善良な人たちに対して

 

ウソで対応していたわたし。

 

いろんな人たちの手を煩わせて

 

それでも新しい人生を手に入れるんだと

 

必死になっていたわたし。

 

今だったら、なんて声をかけるかな。

 

やっぱり、本当のことを話してって言うな。

 

そしてそれは、村で関わった全ての人が

 

わたしに対して思っていたことだろう。

 

 

一晩明けて、次の日の朝

 

もうすぐ東京竹芝桟橋に着くという頃

 

ベテランさんの携帯に何か連絡が入る。

 

そしてチラッと、わたしの顔を確認する。

 

…ああ、もしかして、身元割れたかな…。

 

そう、直感する。

 

そして、船は桟橋に到着した。

 

 

つづく。

わたしと病気 その4

救急車が到着したのは

 

病院というか、小さな診療所。

 

一人部屋(というか、他に入院患者はいなかった。多分。)のベッドに寝かされて

 

点滴をうける。

 

(※この辺りから正直、記憶はあいまい。

 

だけど、できるだけ書き留めてみます。)

 

そして身体に不審な傷がないか確認される。

 

(レイプの跡がないかどうかも

 

多分調べられたと思う。)

 

 

翌朝

 

福祉の人と一緒に、警察の人が来る。

 

わたしは、身分を証明するものは

 

何ひとつ持っていなかった

 

(道中で捨てた)ので

 

まず、名前から訊かれる。

 

 

もう、家には帰りたくない。

 

◯◯(本名)という人生を捨てたい。

 

そう、切望していた当時のわたしは

 

脳みそをフル回転させて

 

自分の中に、ウソの記憶と虚像を作り出した。

 

 

「名前は、あいです」

 

咄嗟に出てきた名前だ。

 

「あいさんですね。どこから来ましたか?」

 

「わからない。」

 

わたしの脳内では

 

関東近郊の山の中にある宗教施設で

 

閉鎖的な環境の中、育ち

 

訳あって最近そこから脱走してきた

 

見た目大人だけど中身子どもの設定。

 

逆コナン?的な。

 

(書いてて自分でも、なんじゃそりゃと思う)

 

 

そして、警察官とやりとりしながら

 

その設定で話し、すっかりなりきる。

 

どんどん出来上がっていく虚像あいちゃん。

 

 

警察官は、とりあえずわたしの話をもとに

 

退院したらまた、警察署の方で詳しくお話を伺いますという感じで

 

その日は帰っていった。

 

 

お昼。病院のご飯が出された。

 

島バナナという小ぶりなバナナがおやつについていた。

 

久しぶりの食事だったので、完食する。

 

歩けるようになったので

 

お風呂にも入らせてもらえた。

 

 

「坊主頭かっこいいじゃない。

 

ねえ、本当はあいちゃんじゃないんでしょ?」

 

看護師さんにそう言われるも

 

頑なにあいちゃんになりきるわたし。

 

もう、後戻りはしない気持ちだった。

 

 

その日の夕方だったか、翌日だったか

 

医者の許可が出て、退院。

 

今度は村役場の女性職員さんが

 

担当についてくれて

 

村中心部の宿に滞在することとなる。

 

宿の部屋で一息ついてから、警察署へ。

 

二日にわたる事情聴取が、はじまる。

 

 

つづく。

わたしと病気 その3

そして夜の帳が降りてくる。

 

 

このまま誰にも見つけられることなく

 

人知れず息を引き取っていく…

 

 

はずだった。

 

 

ところが。

 

 

やがてベンチに男性数名が

 

わらわらと集まり始める。

 

目を閉じたまま

 

(というか動く気力もないまま)

 

耳だけをそっとすます。

 

会話を聞くと、どうやら

 

その日は村の小さなお祭りがあった日で

 

野郎どもで呑み直そうぜ…という雰囲気。

 

集まって談笑する男たち。

 

 

少しして一人の男性が

 

「ところでさ、この下で誰か寝っ転がってるよな」

 

(あ…やっぱりバレてたか)

 

「ちょっと声かけてみるか」

 

(いや、いいです…そっとしていてください)

 

わたしの心の抵抗むなしく

 

「もしもし、もしもーし、大丈夫か?」

 

肩を軽く揺すられるも

 

目を開けるチカラも、返事をする気力もない。

 

「やばいな、救急車呼ぶか」

 

(や…やめてください)

 

熱中症かなにかかもしれないな」

 

「このスポーツドリンク、飲めるか?

 

ほれ、少しずつな」

 

そうして、久しぶりの水分をいただく。

 

 

その間119番してくれた男性が

 

ポツリと言った。

 

「よう見たら美人さんじゃないか。

 

はよ元気になって笑ってくれたらいいな」

 

「そうやな」

 

………。

 

ありがとう。おじさん達。

 

 

そして、救急車到着。

 

担架に乗せられて

 

村に唯一の病院まで運ばれる。

 

 

つづく。

わたしと病気 その2

時は8月上旬の真昼

 

真夏の太陽照りつける、南国小笠原。

 

夏が好きなわたしは

 

もうすぐ天国へ行けるんだと

 

なんだかハイになって歩き始める。

 

 

地元の子供達の声が遠くから聞こえてくる。

 

「あの人男の人ー?」

(スキンヘッドだからね〜)

 

「スカートはいておっぱいがあるから女の人だよー」

(このかすかな胸に気づいてくれてありがとうw)

 

 

海沿いの道をひたすら歩く。

 

どんどん身軽になりたくて

 

途中荷物を置いて行こうかと思ったり。

(結局置く場所を見つけ損ねる)

 

炎天下の中、水分は一切とらず

 

意気揚々と歩き続ける。

 

 

途中、海に足を入れてみる。

 

意外にゴツゴツして尖っていて

 

足の裏を軽く怪我する。

 

 

やがて夕方、陽が落ちてくる。

 

歩く体力気力がさすがになくなり

 

浜辺のベンチの下、道路から死角になる所に

 

荷物を降ろし、横になる。

 

 

もう動けない。

 

このまま、眠るように死んでしまいたい…。

 

目を閉じる。

 

 

つづく。

わたしと病気 その1

さて。病気の話をしようかな。

 

 

わたしには持病があります。

 

精神疾患

 

統合失調症

 

といいます。

 

 

今は症状がだいぶ落ち着いていますが

 

発症した5年前

 

急性期(?)の頃は

 

幻聴がありました。

 

わたしの場合、簡単に言うと

 

「ここから逃げろ。そしてもう死んで楽になろう」

 

そういう内容でした。

 

 

わたしは実家から逃亡を図るべく

 

失踪しました。

 

そして、今までの自分にさよならしたくて

 

逃亡先の宿の

(確か、北区十条のお宿。こちらも偽名で泊まらせていただきました)

 

お風呂場で

 

まずは

 

頭を丸めました。

 

丸坊主です。

 

 

写真を撮っていなかったのが

 

今となっては悔やまれます(笑)

 

だって、かっこよかったんだから!

 

(後に保護された病院の看護師さんにも

 

似合うって言われました 笑 )

 

 

そして、偽名で船に乗り

 

小笠原の父島へ行きました。

 

最期に遠いところで

海のある場所で死にたいと思ったのです。

 

 

船に揺られること24時間ちょっと

 

小笠原の地に足を踏み入れた時には

 

無一文でした。

 

 

つづく。