わたしと病気 その6

船は桟橋に到着。

 

降りてすぐ、ベテランさんが

 

「あいちゃん、帽子をかぶって」と言う。

 

言われた通り、帽子をかぶる。

 

 

そして

 

出口を出てすぐわたしの目に飛び込んできた

 

本土の警察官さんの姿と

 

 

母の姿。

 

 

予感はしていたことだけれど

 

ショックを受けて、身体がガタガタ震える。

 

母に抱きかかえられるようにして

 

近くのベンチに座る。

 

 

「大丈夫だからね。もう大丈夫。」

 

ガタガタ震えるわたしを落ち着かせようと

 

優しくわたしの肩を抱き、寄り添う母。

 

今思うと、どんな気持ちだったかと思う。

 

なのにその時のわたしの頭の中は

 

「ああ…。やっぱり、ダメだった。

 

この人たちからは逃げきれなかった。」

 

そんな思いでいっぱいだった。

 

 

実は、過去にも失踪歴のあるわたし。

 

だから今回は、わたしが失踪してすぐに

 

両親は警察に捜索願いを出したそうだ。

 

…坊主頭のわたしの写真を見た時

 

一体どれだけショックを受けただろうか。

 

 

しばらくして落ち着いてから

 

車で迎えに来てくれていた父の運転で

 

実家へと帰る。

 

放心状態で助手席に座るわたし。

 

ぼーっと外を眺めながらふと

 

「帽子をかぶって」の意味がわかった。

 

両親が、リアルに坊主頭の娘と対面するのを

 

避けるための気遣いだったのだ。

 

 

やがて実家に到着。

 

冷房の効いた寝室のベッドで横になる。

 

それから数日の記憶は曖昧。

 

ぼんやりおぼえているのは

 

数日間、飲まず食わずで眠り続けたこと。

 

トイレにも一切行かず

 

とにかく眠くて、眠くて、眠り続けた。

 

 

それを見かねた両親はある夜

 

わたしを救急病院に連れて行くか

 

それとも以前から時々お世話になっていた

 

心療内科へ連れて行くか迷い

 

心療内科を選択。

 

とても歩ける状態ではなかったわたしを

 

弟がおぶってくれて階段を降り(うちは2F)

 

車まで運んでくれた。

 

 

その個人経営の心療内科は混んでいたけれど

 

急患のわたしを受け入れてくれた。

 

ところが長いこと横になりっぱなしだったため

 

待合の椅子に座っていることさえもままならず

 

頭がクラクラして床に崩れ落ちるわたし。

 

またしても母が介抱してくれる。

 

診察室には父が代わりに入り

 

状況を説明してくれた。

 

先生はテキパキと対応してくれて

 

水なしでも飲めるタイプの薬を

 

処方してくれた。

 

後に知ったことだが

 

それは、統合失調症の処方薬だった。

 

 

翌日には救急病院に行き

 

点滴を受けながら、トイレを促される。

 

何日かぶりの排尿。

 

点滴のおかげもあり、少し回復する。

 

 

それからは、少しずつ。

 

飲むようになり、食べるようになり。

 

徐々に起きていられる時間が増えていった。

 

どう毎日をやり過ごしていたのかは

 

正直よく思い出せない。

 

約二週間毎に心療内科へ母と共に通う。

 

数回目の診察で

 

正式に「統合失調症」と病名が告げられる。

 

「小笠原へ行った時のこと

 

憶えていますか?」

 

医師から何度か訊かれるが、その度に

 

「よく憶えていません」

 

そう、答えた。

 

現地でついたウソのことを

 

話したくなかったのだ。

 

 

先の見通しも何も立たないまま

 

時間ばかりが過ぎていった。

 

 

つづく。